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春休み中のとある日、友人である柳蓮二が突然家にやってきた。
普段連絡も寄こさずに来る様な奴ではない為、随分唐突な、と思ったが
やってきた蓮二が開口一番言ったことも非常に唐突なものだった。

「弦一郎、」

蓮二は言った。

「今日一日この子を預かってもらえないか。」

ふと蓮二の後ろを見れば、俺達よりも幾分幼い子供が顔を覗かせていた。

 子供の瞳

「蓮二、この娘は一体…?」

さすがに面食らいながら俺は尋ねた。

「俺の従妹だ、休みなので遊びに来ていたんだが俺は急に用事が出来てな。
家の者は全員今日に限って出かけているし、連れていく訳にも行かずで…」
「それで俺に面倒を見ろ、と。」
「そういうことだ。いきなりですまないが、お前以外に適任がいない。」

内心俺は何を馬鹿な、と思った。よく似た歳の男子で構成された集団をまとめるのは
たやすいがもっと歳の離れた、それも女子の面倒なぞ見れる自信はない。

「先に言っておくが幸村はダメだった。今日は市(いち)が立つとかで
苗を買いに出かけて留守だそうだ。」

出鼻をくじかれて俺はぐっと詰まる。
何故始めから幸村の所に行かないのかとは思っていたが。
そういえば奴の趣味は庭弄りだったな…。

「ならば柳生がいるだろう。」

俺は言った。部内でも紳士(ジェントルマン)で通ってる柳生は
元々女性に対しては優しい。
また、自らも妹がいるから年下の娘の面倒を見ることなど造作もないだろう。

「今日は家族と出かけるそうだ。」

蓮二は即座に答えた。やはり柳生のところも訪ねたようだ。
再び退路を失った俺は素早く次の候補をあげる。

「ジャッカルのところは。」
「今親父さんのことでゴタゴタしていて子供を預けられる状態じゃない。」

そういえば奴の父親は確か…いや、あまり考えるまい。

「仁王。」
「変装の実験台にしそうで気が気でない。」

考えすぎだと言ってやりたいが、あながち有り得ないと言い切れないのが現実だ。

「丸井。」
「目を離してる隙に甘いものを食わせる確率95.45%。こいつは今軽度だが
虫歯持ちだ、困る。」

丸井が他人に食べ物をくれてやっているところなど見たことがないが、相手が
自分より幼い場合は確かに保証できない。
だがそうなると……

「残りは赤也、か。とてもじゃないが適任と言えんな。」

俺が言うと蓮二も肯いた。

「下の面倒を見る以前にあいつ自身に子守が必要だ。」

退路は全部絶たれた。頭が痛む思いがする。
どいつもこいつも、もしかしたらうちのチームにはろくな奴がいないのだろうか。

「弦一郎、頼む。」

蓮二の声はいつになく切迫していた。

「どうか預かってやってくれ。こいつは大人しいからそう手間もかからない。
危ないことをしないように時々見てやってくれさえすればいい。」
「いや、しかし…」

そこまで言われてもやはり俺は困って蓮二の傍らに立つ娘を見た。
娘は自分の従兄弟に寄り添ってオドオドした目で俺を見上げている。
常日頃俺はこの外見のせいで小さな子供に怯えられるが、こいつとて
例外ではないようだ。
そんな俺の心境を汲み取ったのか、蓮二が言う。

「心配しなくていい、誰にでもこうだ。人見知りが激しくてな。」
「ならばなおのこと俺に預けるのはどうかと思うぞ。」

もしこいつが泣き出したらどうしてくれるのだ。
だが、蓮二は今回に限って人の話を聞いていなかった。

、この人が面倒を見てくれるそうだ。」
「何?」
唐突な蓮二の言葉に俺が問いただす間もなく、
「初めまして、よろしくお願いします。」

蓮二の従妹とやらは礼儀正しく小さな頭を下げた。
俺がしてやられた、と思った時には既に遅しだった。


そういう訳でまんまと俺を嵌めた蓮二はさっさと行ってしまった。
門の前には、俺と俯いて所在なさげにしている娘だけがポツンと残される。

「蓮二の奴め…」

俺は思わず唸った。何も俺を欺いてまで親戚を預けることはないだろうに。
それ以前にあんなくだらぬ手にうかうかと引っかかってしまった己に少々腹が立つが
いつまでもこうして門の前で娘と突っ立っていても仕方がない。

「とりあえず、上がるといい。」

俺は娘に声をかけた。

「お邪魔します。」

娘は小さく言って俺の後をついてきた。先ほどもそうだったが、幼いなりに
礼儀はわきまえているようだ。
さすがは蓮二の親戚といったところか。
玄関に通したら娘は何を思ったのかあたふたと靴を脱ごうとしてバランスを崩した。
別に急かした覚えはないのだが、と思うと微妙な心持だった。

娘を和室に通してやってから、俺は茶を入れようと台所に行った。
うちも丁度両親と兄が不在で俺しかいなかったのだ。もし家族がいたら
よそ様の娘を預かることで少々ゴタゴタしただろう。 妙な偶然もあったものである。
まさか蓮二もそんなところまで計算していたわけではなかろうが。
そんなことをボンヤリと考えていたら火にかけたやかんが湯気を吹き出したので
さっさと火から下ろして急須に湯を入れた。
盆を持って台所から戻って来てみれば娘はきちんと正座をしたまま
大人しく待っていた。

「茶だ。」

言って目の前に湯飲みを置いてやると蓮二の従妹はいただきます、
と呟いて湯飲みを手に取った。
俺もその向かいに座って茶を口に含む。口の中は思ったより乾いていた。
一口飲んで少し気持ちが落ち着いた俺はふと気がついた。

「そういえばまだ名を聞いていなかったな。」
です。」

茶が熱すぎたのか、ふぅふぅと控えめにふきながら娘は答えた。

「真田弦一郎だ。」

とやらはあー、と小さく呟いた。
おそらく、蓮二から俺の話を聞いたことがあるのだろう。

「いくつになる。」
「この間10(とお)になりました。」
「そうか…」

それっきり会話が続かず両者の間に沈黙が流れる。
は緊張のせいか、座ったままひどく体をこわばらせている。
何とかほぐしてやりたいとは思うのだが、この歳の娘がどんな話題を好むのか
俺には見当もつかない。
とりあえずは家族や出身地のことでも聞くしかあるまいな。

「蓮二の従妹だそうだが、お前はどこに住んでいる。」
「大阪です。」
「随分遠くから来たのだな。親と一緒にか。」
「いえ、1人で来ました。」

まだ10の子供を1人で大阪から神奈川に来させるとはどういう親だ、と思ったが
敢えて黙っておくことにする。

「蓮二とはうまくやっているか。」
「はい。お兄ちゃんにはいつもよくしてもらってます。」
「うむ、そうだろうな。」

こっちは質問し、向こうは簡潔に答える。
どうにも事情聴取のような感じが抜けないのは気のせいか。
だがしかし、話が続かぬよりはマシだろう。

「あの…」

それまで受け答えをしているだけだったが自分から口を開いた。

「蓮二お兄ちゃんと仲がいいんですね。」

そんなことを言われるとは思っていなかったので少々驚きはしたが、
思わず顔が緩むのを感じる。

「まぁ、付き合いは長い。ずっと共に戦ってきた仲間だ。」

俺が言ったのはそれだけだったが、は何を感じたのか
満足そうに微笑んで 茶を口に運んだ。

「アツッ!」
「気をつけろ、まだ熱いぞ。」

俺は慌てての側に駆け寄る。
よその娘に火傷をされた日にはたまったものではなかった。


それからはまた沈黙が続いていた。
俺としてはこれと言って話題が思い浮かばず、だからと言って来客を放って
他へ行くのも憚られて動くことが出来ない。
ですっかり茶を飲み干した後はまた固まったまま俯いている。
どれくらいそうしていただろうか、俺はとうとういたたまれなくなって立ち上がった。
が体をビクッと震わせたがここは見なかった振りをするのが懸命だろう。

「俺は席を外す。お前はここを好きに使うがいい。」

は何やら口を動かすが、声が出ていない。

「何かあったら俺の部屋に来い。廊下の突き当たりに階段があったろう、
そこを上がって左から3番目だ。」

俺は言い終わって娘に背を向けるとその場を立ち去ろうとした。

「あの…」

さっきは出ていなかったの声が小さく響いた。

「お庭に出てもいいですか?」

何だそんなことか、おそるおそる言うから何かと思えば。
些細な望みにしては妙に遠慮がちな言い方に俺は軽く吹き出しそうになるのを
堪えながら答えた。

「構わん。」


を和室に残して俺は2階の自室に行った。
どうすればよいのかわからないままに逃げた、という感じが抜けきらないでもないが
あまりにも固まっている娘を見ると自分が席を外しておいた方が
気が楽かもしれないと思う。
まさか人が見ていない隙に何か悪さをするわけでもあるまい。
部屋に入ると、自分でも驚くくらいに気が抜けるのを感じる。
緊張していたのは何もあの娘だけではなかったようだ。
思わずため息をついて文机の前に座り込んだら、ふと、窓の外から
人の気配を感じた。
見れば下に広がる我が家の庭をが歩いている。
履物はわざわざ玄関から自分のを取ってきたようだ。
そういえば庭下駄を貸してやるのを忘れていた。

庭にいるは非常にゆったりとしていた。庭に植えてある植物達に興味を示しては
しばらく立ち止まってあるいは しゃがみこんで対象を眺める。
興味を示しているのは植物だけではない、置いてある石や池にかかる橋も
どうやらの興味の対象のようだ。
表面にそっと触れてみたり渡ってみたり、本人なりに楽しんでいるらしい。
ちょっと見てからすぐ窓から離れるつもりだった俺はそのままが池の鯉を
面白そうに見る様子を眺めていた。
何かの拍子で池に落ちたりしてはいけない、と思っていたのもあるが
自分にとっては既にあって当たり前になっているものをがそのように
見ているのが新鮮だったのだ。

しばらくすると、庭を充分堪能したのかは中に戻った。
見るものもなくなってので俺は窓から離れると、机においていた
読みかけの本を手に取った。


時が大分過ぎたのに気がついたのは本をまるまる一冊読み終わった頃だった。

「む、こんな時間か…」

いつの間にか時計は正午過ぎをさしている。
丁度腹も減ったところだし、の様子も気になる、と俺は本を置くと腰を上げた。
階段を降りてのいる和室に行くと、あまりの静かさに人の気配が
感じられなかった。
眠ってしまっているのか、それとも遠慮のあまり息まで潜めているのか。
まさか勝手に姿を消しているはずはあるまい、とは思いつつもふすまを開ける。

「あ。」

はちゃんと居た。俺が来たことに気がついて顔を上げている。
どうやらこちらも読書をしていたらしい、和室の卓には
児童文学とおぼしき本が広げられていた。
長編なのだろう、ハードカバーでしかも分厚い。大きさもA5くらい―多分の話だ。
一目で紙の大きさを当てることは得手ではない―はある。
それなりに重さがあるだろうにわざわざ大阪から持ってきていたのかと思うと自然、
笑みがこぼれそうになる。
厚さの割りにページが進んでいたのと、の俺に気づいたものの
まだ夢から覚めてないような どこかボンヤリとした様からそれだけその本を
気に入っていることは明白だった。
が、今は本の話をしている場合ではない。

「そろそろ昼だ、俺は昼食にするがお前は…」
「あ、私も頂きます…」
「持ってきているのか。」
「はい。」

そう言っては傍らにおいていたビニール袋を持ち上げた。
今日の訪問は突然のことだったから大急ぎで買ったのだろう、
袋にはコンビニのロゴが印刷されていて
中からはサンドイッチらしき包みの影が透けて見える。
これからもまだ成長しなければならない娘の食事としては如何なものか、
といらぬことを心配してしまった。

そうして昼飯と相成った訳だが、食事の間も俺とはお互い沈黙を保っていた。
俺が焼き魚を口に運んだり味噌汁をすすっている間、は遠慮がちに
サンドイッチをかじっている。
時々チラチラと俺の手元を見ているが口を開こうとはしない。
朝と同じく静かさが妙に重たくのしかかった。
蓮二は自分の従妹のことを『大人しいからそう手間もかからない』と
言っていただろうか。
確かに今まですぐトラブルを起こすような奴の面倒を見てきたことを思えば
手間は全然かからないと言える。
だがしかし、ここまで人見知りで戸惑いを前面に押し出しているとなる
とある意味手間がかかると 言えるのではないだろうか。
緊張をほぐしてやるのに難儀するという点において。
そんなことを考えながら俺は飯を一口食べる。
向かいに座っていたは持っていたサンドイッチを半分ほどかじったところらしい。
口の中のものをきちんと飲み下してから、何故か卓に片手を伸ばした。
それから、あ、と何かに気がついたような顔をする。

「どうかしたのか?」

尋ねた瞬間、はギクリとしたように肩を竦めて目を泳がせる。

「あ、その、えと…」
「やましいところがないならはっきり言わんか。」

苛立ってはいけない、と思いつつもあまりにも煮え切らない物言いに俺の語気は
図らずとも強くなる。向こうはそれを敏感に捉えて余計に言葉がたどたどしくなる。

「す、すいません、その、急いでたから、飲み物…買うの忘れちゃって、それで…」

みなまで聞く必要はなかった。
俺は急須を取り上げて空になっていたの湯飲みに茶を入れてやる。

「……ありがとうございます。」
「茶は合わんかもしれんが。」

また固まってしまったをほぐしてやるつもりで俺は言った。
は口の中で『どうぞお構いなく』と呟くと、やっと水分を補給できると
言わんばかりに せかせかと湯飲みに手を伸ばした。


しばらくして、先に食事を終えたのはの方だった。
大した量を持ち込んでいなかったので当然である。
俺がまだ食事をしている間、はどうしたものかわからぬというように
正座をしたまま、 目線もほとんどは下になっているがやはり時折俺の手に向けられる。

「さっきから何を見ている。」

既に5度も自分の手に視線を感じて、俺はとうとう尋ねた。

「俺に何かおかしなところでもあるか。」

は首をブンブンと横に振った。

「違います、その、えーと…大きな手だなぁって……」
子供は時折こちらが思いもかけぬことを言うと聞くが、俺もまさか
食事中にそんなことを言われるとは 思ってもみなかったので手が止まってしまった。

「別にどうということもあるまい。」

動揺を押し隠してやっとそれだけを言う。

「そうかもしれないけど、」

は言った。

「でも何かいいなぁって。蓮二お兄ちゃんもそうなんだけど、何ていうか
あったかそうっていうか、そんな感じで…」
「お前、蓮二にもそんなことを言っているのか。さぞかし驚かれていることだろうな。」
「…こないだ笑われました。『は何を言うやら予測がつかないから
データの取り様がなさそうだ』って。」
「あいつらしい。」

とその従兄弟のやり取りが目に浮かんで、内心で微笑ましいと
感じながら俺は茶を飲む。

「俺も自分の手があったかそうだなどと言われたのは初めてだな。」
「そうなんですか?」

は意外そのものだと言わんばかりだった。

「不思議なこともありますね。」

どう考えても不思議なのはこの娘だと思うが。
子供―と言っても俺とあまり歳は違わないが―の発想は よくわからない。
この歳の娘はみなこうなのか、それともが変わっているのか。
そのはというと、一通り自分の言いたいことを言うと何やら手を
膝の辺りでゴソゴソと動かしている。
見れば顔が少し赤い。

「お前は普段はよく喋る方か。」
「えっ?」

俺の唐突な問いにはポカンとした顔をした。

「どうして…」
「さっきは比較的饒舌だったのでな。」
「あー、その、初めての人とはうまく話せないです。自分が好きなこととか
知ってることの話なら何とか出来るけど、 それ以外は全然…
慣れてきたら結構おしゃべりかも…」

俺はそうか、と呟いた。非常に納得のいく答えだ。

「そういえば蓮二がお前は人見知りが激しいと言っていたな。
生憎俺も人当たりの良い方ではない、お前にとっては打ち解けにくいとは思う。」
「そんなこと言ってま…」
「わかっている、だが事実だ。」

俺は茶を飲み干した。は何故か小首をかしげて俺を見つめていた。
それはそれは、子供らしい澄んだ瞳で。


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